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B1病棟@其の8

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B1病棟@其の8


六月二十三日 金曜日 六時三十分起床。
外泊当日。洗顔、ラジオ体操。外泊の最終点検をする。きょうは土砂降りの雨もようだ。
せっかくの外泊なのだが仕方がない。
玲子もとても疲れている様子だから、無理をしないで欲しい。身支度をしてずっと待ちわびる。
十時五十分に玲子が迎えに現れる。
外泊書に印鑑を押して、病室を出て玄関まで行き、オペルの助手席に乗り込む。

そして二か月ぶりに院外に出る。
ワイパーをハイにしないと視界が悪くなるほど激しく雨が降っている。
院内での生活が長かった為に瞳孔の働きが鈍く、上手く遠くの景色にピントが合わない。
話す会話も車内では少めだ。
何かこれから起こることを暗示しているようだ。
二か月ぶりの我が家に着く。
家もあちこちくたびれた様子が見える。
玄関のシーサーの片方が壊されたようだ。
花の季節もすっかり変り萎れている。
家の中に入ると愛犬のサクラが飛びかかって来て、口の周りを何度も舐めまわした。
少しサクラも年老いたように思える。
作ってあったカレーを昼食に玲子と食べる。
そして免許証の切り替えの手続きのためにリハビリを兼ねて
町の警察所まで一人で行くことを実行することにした。

オペルを慎重に運転してどうにか警察署まで辿り着いた。
訳が解らぬまま手続きを進めるが、講習日は別の日を予定されていてうろたえてしまった。
大村の病院に入院中であることなどを説明するが認められなかった。
(勿論精神病であることは伏せていた。)次の講習は七月十三日 木曜日一時三十分からなので、
再度日程を取り、外泊を取らなければならない。大きなミスをしてしまった様で傷ついてしまった。

家に戻り、玲子に情け無い事や、本来ならこんなミスをしないはずなのにと思って泣いてしまった。
また途方にくれる。
夕食の買い物に二人で近所のスーパーまで行く。
今晩は豚シャブにする。ノンアルコールのビールまで買ってもらう。
他にアジの刺身が安かったので買い足した。
夕食の準備を手伝いながら、もどかしい自分の脳を恨んだ。

玲子から此れまでの病気の経緯について再度詳しく指摘される。
玲子自身がどうやってここまで登って来たか、母親の美恵子の気持が解るなどと、
少し勘違いしたことまで飛び出す。


「あなたや島根のお母さんとお兄さんが、いかに自分本位で生きているか、
そのために全てを他のせいにして逃げてばかりじゃないの。」


「だから精神病にもなり、又その殻から出てこられないのよ。」


「龍之介があの晩どれだけ泣いていたか、真田さんも一緒になって泣いてくださったのよ。」


「色々な人を傷つけて苦しめた事を再度認識して頂戴。」


この強い気性の玲子と本当に心を通じてやってゆくには、
今の自分はあまりにも傷つき安く、脅え、おののいているのだ。

五時三十分、龍之介が帰って来た。目が輝いている。軽く挨拶をしただけで、二階の自室に籠ってしまった。
夕食も砂を噛んでいるようで、全く食欲がない。物を食べる気力さえ無くなっている。
しぶしぶシャワーを浴びて十時にはサクラと一緒にベッドに入る。
俺の精神はもう限界なのだ。


六月二十四日 土曜日 九時に軽く朝食を済ませる。
玲子のレッスンは十時から十二時三十分くらいだ。家での居り場がなく、しばしうろたえる。

十時三十分ごろから散髪に行く。込み合っており、しかもカットがへたくそで嫌な気分だった。
運動公園の駐車場で暫く時間を費やす。
何も感じない、胸の中がまだ穴が開いたままだ。
スーパーで焼きそばを買って一時に自宅に帰るが、玲子が心配して表まで出迎えてくれた。
きっと自殺を心配したのだろう。
こんな鬱状態では自分にはその気力さえ無いと言うのに。

焼きそばをどうにか作り上げる。玲子と龍之介と三人で食べた。
久しぶりの焼きそばで、美味しいと好評だった。
心のバランスがとても乱れているので再度気力を振り絞って、このノートを書き足す。
これから先どう進めば良いかもう自分では解らない。
その後再度、玲子と言い争う。


「私をあなたは憎んでいるんでしょう。いやな女だと思っているんでしょう。」


「俺が今望んでいることは癒される事なんだ。あなたには求められないじゃないか。」


玲子とは夫婦の関係は三十五歳くらいでもう既に無くなっている。いわゆるセックスレスの夫婦なのだが、
こういう時に自分が玲子に求めるものは、単に包み込まれて、魂ごと蕩かせてくれる行いをすることだ。
お互いの体に触れて一番敏感な部分を擦り合う単純で、素晴らしい行為。
欲望と安らぎ、許し合い、認め合い、蕩け合うのだ。

夕方まで言い争い、玲子は一人で買い物に出掛けて行った。
俺はピーチとサクラを連れて散歩に出かけた。
運動公園まで遠回りして一人になって自分を見つめ直す時間が必要だった。
死ぬのも生きるのも辛いこと。
公園の人影の無い木の下で、犬の散歩用の手綱で犬と一緒に首を吊るイメージが浮かぶ。
前から玲子と一日でも長く暮らせる事を希望していたのだから、楽しい事ばかりでは無いはずである。
辛いことばかりの現実に二人してどう立ち向かうのかというスタンスでないと乗り切れない。

六時三十分ごろ散歩から帰ると、玲子から抱きつかれた。好きだと言う。必要だと言う。
寂しくてたまらないのだと、俺の全てを受け止めるのだと言う。そして暫く泣く。
髪を染めて風呂に入り、夕食に美味しいあのハンバーグを食べる。焼きナスも美味しかった。
大根おろしがとても辛くて二人で驚いて笑った。眠くなるまでマッサージチェアーの上でまどろんだ。


 六月二十五日 日曜日 七時三十分に起きる。玲子と簡単な入院準備をする。
次回の面会は六月二十九日の予定だ。
軽く朝食を済ませ、玲子は午前中レッスンなので、ピーチとサクラで二階の寝室に上がる。
龍之介は散髪に出かけて行った。ベッドでもやもやとうつろう。
意識が危うい。そこでパソコンをパスワードで起動させてみる。リクナビをネットで調べてみる。
まだ使えそうなデータが多いので安心した。メールチェックとウイルスチェックをする。
経済産業省不正利用のデータはまだパソコンの中で生き続けている。

午後、二人で冷やしうどんを食べる。玲子との日常の会話が楽しい。


「今回の件で、どれだけあなたの事が好きか改めて知ったの。」


庭の花を二人で眺めた。玲子が色々な日常について説明する。久しぶりに楽しい二日間だったと言う。
玲子からの情報量が多すぎて自分の今の脳では追いつかない。又混乱し、不安や怯えもやって来て戸惑う。
感情の波も揺れ動く。こんな危うい自分はいったい何者なのかが全く解らない。スタンスがもろくも崩れ去る。
心が安らげる場所なんて、この現状では何処にもない。それは自分の心の問題で、環境では決してないのだ。

ピーチとサクラを宥めて、二階の龍之介に挨拶をして家を出る。
三時三十分に玲子とオペルに乗って病院に向かう。

玲子は再び家に帰って、一人きりになったらきっと、オイオイと泣くと言った。
途中コンビニで同室の方々にお土産を買ったが、この頃から又頭が混乱してきて、
病院での入院生活をどの様に組み立ててゆけば良いのか全く解らなくなった。

病院の駐車場で、玲子と手取り足取りで、今後どう一歩一歩、歩んで行けば良いのかを再確認していった。
頭の中の脳はパニックと恐怖で混乱する。
仲尾Dr.が言っていた、初めての外泊では問題があったら
直ぐに連絡を入れるようにと言った意味がやっと解った。

 四時、B1病棟にて、何もなかった様にまたこのノートを取り出して、読み返す。
TVでの女子ゴルフで新人が優勝するのを何気なく眺めている。
今頃、玲子は一人きりの部屋でオイオイ泣いているのだろうが、
自分は自分のスタンスの危うさや沌から逃れようと、やっとで時間を費やしているのだ。
早く玲子に追いつかねばならないのだ。

六時三十分、可部さんにお土産を渡す。来週から一週間外泊できると嬉しそうだった。
八時に功名が辻のTVを見る。今回は愛に関することがテーマだった。
もう一度初めから玲子と、再度もう一度始めようとまた思った。


 六月二十六日 月曜日 七時三十分、ラジオ体操。静かないつもどおりの朝。髭を剃り、洗顔する。
可部さんはお姉さんに連れられてにこにこと外泊に出かけて行った。
ソーシャルに行ってみたが、何もする気が起らず、心理教育ビデオを見せてもらう。
自分が今だにリラックスできずに気持ちにゆとりが無い休息期であり、
十分な休養と睡眠と規則正しい生活が必要であることが解る。

外山さんと言う患者さんと病気について話をした。外泊後B2病棟に移動だそうだ。
一月から入院、二十六歳から発病。躁鬱の間に分裂が入るケースで闘病生活も難しいのだろう。
どうにか気を振り絞って風呂に入る。
本当にそれだけで今はやっと自分の体を動かせる事がやっと出来るくらいだ。

夜明け前が一番暗いと玲子が言っていた。今がそうであって欲しい。
かつて玲子と男と女であった頃を思い出してみた。そんな基本的な温もりが今は欲しいような気がする。
三時四十分から散歩に出かける。又何時もの様に大村湾沿いをそれと無く眺める。
ここが自分の居場所であるのを確かめるように。
 四時にメールチェックする。

  *今日は朝から雨がひどかったね。
かみなりもひどくてピーサクが又ワンワンさわいだよ。
明日は朝九時から歯医者でその後又市役所にいかなければなりません。お父さんの気分はどうですか?
昨晩は眠れたかな?功名が辻は私も見たよ~お父さんも見ているかな?と思って見ました。
外泊は一週間~十日に一回はできるそうですよ。よかったねっ。お父さんはきっとよくなるよ。
少しずつがんばって行こうねf^_^;今日は三時から小学生なので早めにメールしました!*

仲尾Dr.面会。外泊中の気分などについて詳しく説明する。
今の状態が如何にぼろぼろかと説明して、薬の量を減らしてもらう。デパケン一日六錠から四錠。
外泊は基本的に土、日毎週でも許可されるが、今週は今のところ見合わせてもらう様にお願いする。

七時からこのノートを読み直す。そこに書き込まれた事について再確認する。
外泊のショックも再起のプロセスとして少し落ち着いて見る事が出来る。
少しずつではあるが、輪郭が掴めて来そうである。
自分が此れからどう現実と立ち向かい、玲子と向かい合い、
助け合いながら生きて行く事が継続出来るかが解り始めて来そうである。


六月二十七日 火曜日 ラジオ体操。久しぶりに良く眠った様な気がする。
午前中は殆んど寝たきりだ。酷く悪いイメージでうつらうつらする。何もする気がしない。
壁の染みの模様が悪魔の顔に見えてきて仕方が無い。パレイドリアと呼ばれる症状だ。

午後からソーシャル活動でたこ焼きのイベントがあった。二つ食べて食欲が無くリタイヤ。
今日は酷く気分が悪い。何もかも自分が悪いと言う思いに支配されていて死のうと言う考えしか浮かばない。
苦しくてたまらないのだが、なす術が無い。

三時四十分に散歩に出かける。
又大村湾の玄関前を行ったり来たりして、外の世界が本当で、院内が繭の中であることを再確認する。
 メールチェックする。

*今日は朝一番で歯医者に行き~
市役所で用事をすませ買い物して帰ってきました!
お父さん~悪い事ばかり考えたらいかんよ。未来は自分の思った通りになるんだからね。
どうせ想い描くならいいイメージを頭にいつも持つ事。万事上手く行く!~といつも考える事。
イメージは大切。なんでも思う事から始まるよ。お父さんには私がついてるよ。*

*今日は気分が悪かった。英子のメールを参考にしてみる。*

*大丈夫。リラックスして。*

*夜で~す。以心伝心かお父さんは今日調子悪いかな‥と思ったんだ。
お父さんに明るい色のバワーを心の中で送りましたよ。伝わったかな?
気分がサエナイ時は腹式呼吸してゆっく~り、リラックスリラックスと心の中で言っていいイメージをもつ事。
私はいつもお父さんにいい気を送ってるからね~受け止めてね。又明日の昼メールするよ。
一人ぼっちじゃないよ。こうやって夜もお父さんの事考えていいイメージ伝えてるからね。心配なし!*


気持ちが通じているらしく、見過ごされている。
それでも支え続けてくれている。そもそも良いイメージなど抱いたことが入院してから一度もない。
どう良いイメージを考えればよいのか考えた事が無い。少なくとも自分には玲子が付いていてくれる。
怖くない怖くないと念じつつ休む。


六月二十八日 水曜日 何やら楽しげな夢を見る。ピーチやサクラや他の犬達と遊んでいる夢だった。
髭を剃り顔を洗う。シーツを替える。
同室の松井さんは今週退院だそうだ。又環境が変わってしまう。相変わらず何もする気が湧いてこない。
食欲も無くなり、胃がせり上がって来る感じがする。寝たきりの状態が続く。

午後に清掃会社が入り、床のワックス掛けまでこなしてゆく。
今の自分にはこの作業さえもとても羨ましく、
又大変な作業の様で気遅れしてしまった。

仲尾Dr.面会。外泊後やはり苦しい事を告げる。朝の薬は鬱にする傾向があるとの事で、
もう少し様子を見て減薬する方向で処方してもらう。

散歩に出かける。玄関までだが、外の空気が気持ち良い。
メールチェック。

*今日は気分はどうですか?無理せずリラックスを心がけてね。
明日会いに行くからね!楽しみに待っててね(^O^)お父さんは必ず立ち直れるから。
未来を自分達で作りましょう♪*

*ありがとう。今日も苦労しているけど、玲子には感謝してるよ。*

*あまり気負い込みなさんな。少しずつだよ。*


苦しさが通じていた。未来なんて此処では想像できるはずがない。此処はB1病棟なんだ。
寝る前に読書をする。
もう死んでしまいたいと思うのは、その傷から逃げる事。
ただ寂しい、苦しいと言う感情の中でいるのはただの逃避。
苦しくても、本当の自分の姿を見つめると、そこから人生が変わって来る。
しかし、本当の自分がどうしようもない者であったり、
そもそも何も下敷きが無いときにはどうすれば良いのか。
自分にはどうしても何か重大な人格が欠落しているような気がしてならない。


六月二十九日 木曜日 七時三十分ラジオ体操。うつらうつらいろんな夢を見る。眠りが浅い。
十時三十分に風呂に入る。とてもしんどい。
午後玲子面会。鬱傾向が酷い事、自分がどうしても好きになれない事など、酷い状態を見せてしまう。


「私は今のあなたの事を好きだから、自分を否定してはいけないわ。
大丈夫、世界が終っても私はあなたを好きだから。私が付いているから、元気出して。」


明るく話しかけ、手足をまた揉んでくれる。
見送りに玄関まで行こうとした時、膝カックンまでしておどけて笑ってみせる。
このぐらいで良いのだと吹き飛ばしてくれた。
自分には本当に過ぎた妻だとしみじみ思う。
玄関まで見送り、今度の土、日でも何時でも思いついたら外泊して良いから、と言って、
オペルで大村湾沿いを出て行った。

仲尾Dr.面会。
鬱状態を心配している様子。
月曜日まで鬱の様子を見てデパケンを更に減らしてゆく検討に入るらしい。
土、日の外泊は今回は無理をしない方が良いとアドバイスされる。
自分からは逃げれないことを再確認する。
今週に入ってからの引きこもりは無駄な四日間であったと言える。
メールが届いている。

*今着いた。落ちこんでるお父ちゃんに膝カックンばする鬼嫁たい!
クイズ~ギャル語で~マボパンってなーんしょ?なんかの略語。考えときぃ。*




六月三十日 金曜日 体がキツイ。
十時三十分より心理プログラムに行く。
参加者は五名ほどで、皆さんはこのプログラムについて、もう殆んど慣れている方たちだ。
薬の作用について勉強する。
自分には今のデパケンは効きすぎていると思った。
皆自分の薬についてとても詳しく理解されている。これだけで又とても疲れてしまった。

同室の村井さんが奥さんと二人だけで退院さて行かれた。
午後、食欲は殆んど無い。ご飯を食べる事が出来ない。
新しくB1病棟に入ってきた吉沢恭子さんから、笑った方が勝ちよ!と助言された。
三十五歳前後の美人で、明らかな躁状態に見えたが、後にとんでもない事態を引き起こすのだ。

辛く苦しい時間、一人で部屋にいる時、玲子から貰った生茶を飲んでみる。
確かに愛が詰まっていて美味しかったし気力も湧いてくる。
勢いづいて散歩に出かける。ナイキのシューズでランニングまでして胸が苦しくなる。
途中何度も明日の事を考える。
どうせ苦しいのなら、現実の愛が注がれる玲子の下で暮さないといけないと思う。メールチェック。

*お父さん~気分はどうね?おっ母は元気ですよっ。
今日は髪染めに美容院に行ってきた。
チレカー、今日だけ‥!今日は三時半からレッスン。
お父さん、夜明け前が一番暗いんだから~きっとお父さんは夜明け前。きっと暗闇から光が見えるよ。
この前帰宅した時よりお父さんの目は澄んでいた。
私は正直~あっ‥こっちの世界に帰って来ている‥と感じたよ。
お父さんにとっては一番辛い時かもしれないけど~
お父さんは立直りかけてると傍にいてひしひしと感じた‥本当に。
お父さんには逃げていると自分で感じるんだろうけど私には病気と戦っている本当のお父さんが見えたよ。*

*明日、帰ろうかな?*

*帰るなら先生にいっといて。昼からなら迎えにいける。又連絡して。明日朝九時位に電話せんね。*

午後七時に玲子から電話があった。


「明日午後二時に迎えに行きます。待っててね。」


多忙の中、申し訳なく思う。何時も自分が困っている時に玲子は手を差し伸べてくれる。
八時半まで動物ペットのテレビを見る。ピーチとサクラもこれから先どう飼っていけるか考えなおした。
自分にはやはり愛が足りない。


 七月一日 土曜日 六時半起床。毎月一日の御まじないラビットラビット。
少し読書をする。
自分と同じ視点で他者を見る慈悲の心が自分には無い事を再認識する。

十時二十時に十分風呂に入る。少しでも小ざっぱりして玲子に会いたかったからだ。
昼食は無で記入しておいたのに、用意されていてバツが悪くていらないと断った。

 午後二時過ぎに玲子が迎に現れる。
グリーンの真新しいバッグを片手に。今回は玲子の顔が険しい感じがする。
仲尾Dr.より前回の様に無理をしないように注意される。
オペルに乗り込み近所のスーパーに買い物に行くことにした。
龍之介用の牛肉やジュース、旬のイサキを買って帰る。
家に帰り、二階の龍之介に「ただいま」と声だけ掛ける。
そして何時もの様に玲子から足の裏を丹念にマッサージされる。
冷たく閉ざした心を押しあけるように、念入りにそして長くゆっくりと包み込まれる。
心地よく癒されていることは確かだし、有難いのだが、
今の自分は何もかも気力も欲も無くしてしまっているので、どうしようもない。
本当に如何にかして欲しい。自分の今の状態について捕えようが無いのだ。

夕食は旬のイサキの塩焼きと冷奴を頂く。食欲が無く、味がしない。申し訳なさでいっぱいになる。
死にたい気分には相変わらず囚われている。波の様に押し寄せては引いてゆく。
玲子に勧められてシャワーだけ浴びる。
玲子より今回の入院についての経緯に行き違いがあり、傷つけてしまった。


「あなたは病気になる以前から、気分にむらがあり、家族はいつもあなたの顔色を窺って暮していたわ。
突然怒り出すことも度々あったし、私は子供達を守るために必死だった。どうして病気になったのか、
成るべくしてなったのよ。」


「俺は欠点ばかりの人間だけど、少なくとも家族を愛してる事は事実なんだ。
だからと言って、こんなに苦しい鬱の人間に浴びせる言葉だろうか。玲子は天使と悪魔が同居している。」


そして疲労困憊して、十時ごろサクラとベッドに入る。


 七月二日 日曜日 軽く朝食を食べる。トウモロコシとメロンとパン。
龍之介はメロンだけしか食べない。
玲子は十時からレッスンのため、二階にサクラを連れてベッドに潜り込む。
苦しみながら時間をやり過ごす。
龍之介が焼きそばが食べたいと言うので、一人で昼食の買い出しに出かける。
食材を選ぶだけでも疲れてしまう。

きっと人には何処か体の具合が悪いのだろうと見えていたのだろうが、
実際は脳の神経伝達物質とレセプターとのアンバランスによる脳機能不全であるなんて想像もできないだろう。
精神のバランスをどう保つかが問題だ。

 午後、家に帰って焼きそばを一生懸命作って、三人で食べた。
龍之介は旨いと言ってくれて沢山食べてくれた。玲子と俺は食欲のないまま少しだけ食べた。
一時半頃から転寝をする。そして目が覚めてから外泊分の書き足しをする。
どうしようもない現実、逃げ惑う自分。無気力の極み。どうにかしてこの鬱を乗り越えなければならない。
まだ死ねない。

龍之介とピンポン玉を使って、手からポンと飛ばし合いの遊びをする。
自分の方が上手いので龍之介は悔しがってみせた。テスト中で大変だろうと声をかける。
ちょっとした心の触れ合い。龍之介の優しさが身に染みた。
 三時頃龍之介に声を掛けて家を出る。玲子と車の中で色々な事を話し合う。


「何時も良いイメージを持つようにしてね。二人で夫婦なんだから、
今回の事さえも返って支え合えて良かったじゃないの。」


「一方的に支えられてる。」


「そんなことない。あなたは生きているだけで私は救われているのよ。
だからどんなに辛くても、絶対に死んではいけないの。」


「昔のあなたは病んでいたのよ。いまは再生の時。今のあなたの方がずっと好き。」


 午後五時 病室に戻り、腰痛に悩まされながら、ふっと思った。
玲子が言うように、あのベンチャー企業での花見以降の躁状態は確かに細部まで病気であったと認識する。
今の自分からはやはりそう見える。
やっと此処まできたのか。自己の再生の時だ。


 七月三日 月曜日 七時三十分ラジオ体操。十一時まであまりの気分の悪さに唸り寝込む。
午後十二時に仲尾Dr.を呼び出してもらい、診察してもらう。
夕方からデパケンを減らしてゆく事で了承。
昼食のカレーは如何にか半分だけ食べる。
気力を振り絞って風呂に入る。お湯が細胞からしみ込んできている様で心地よい。

三時三十分から散歩によろよろと出かける。マイペースでゆっくりと、一歩ずつ。
メールチェックはどうしてもしなければならない。現実の世界との懸け橋なのだ

*気分はどうでしょう?薬は減ったかな?
今日はややこしい事をする日に決めてたので
役場に行って年金の免額願いを書いたり七月のお金の振り分けをしたりで用事を済ませたりしたよ。
もうこれだけで今日は精一杯やった!今日は三時からレッスンなので早めにメールしてます。
天気のせいか今日は頭痛で嫌だな~。お父さんもなかなか散歩ができんやろ~。
あまり閉じこもらんで看護師さんとかとでもざっくばらんに話す練習したほうがいいと思うよ。
愚痴でも泣き言でもいいさ。
心の中で自問自答するより誰かに聞いてもらったほうが精神的にもいいような気がする。
辛い時は辛いなりにゆっくりと過ごして、精神のエネルギーを充電してね。*

*大変やったね。こちらもはいずり回ってます。*

*お大事に。*

無理に無理を重ねると、いくら玲子でもダウンするぞ。お互いにボロボロだ。
玲子が倒れれば、どうなると言うのだろう。生活の全てがズタズタになってしまう。
龍之介も、ピーサクも我が家も全て。
夕食後、腰痛悪化。顔のアトピーも酷い状態だ。デパケンは二錠だけになる。


 七月四日 火曜日 六時起床。サクラが病院までやって来る夢を見る。
毛並みの手触りから、足の裏の匂いまではっきりと覚えている。
きっとサクラの魂がこのB1病棟まで遥々やって来たのだろう。サクラをこの胸に抱きたい。

七時三十分ラジオ体操。腰の状態は少しはましの様だ。

仲尾Dr.面会。現状の説明をする。


「体がだるく、気力がありません。
悪いイメージしか浮かばず、自殺願望が日増しに強くなって来ています。」

「鬱状態や体のだるさを取る為に、薬を今週末に向けて更に減らして行きましょう。
躁状態のリバウンドは時間が解決してくれます。
現実との戦いは焦らず、少しづつ自信を付けて行って下さい。
今週末の外泊はDrストップです。」


午後から腰痛が酷くなる。本島看護師に腰痛の対処の仕方を聞いてみる。
退院後に一度専門の整形外科に懸かる事を勧められた。
顔のアトピーも更に悪化し、本当に全身ボロボッロだ。

ソーシャル活動での七夕の短冊に「家族を守って」と書いた。皆様々な願い事を書いている。
分裂病の大坪さんは「セックスがしたい」と書き、
躁病らしき吉沢恭子さんは「世界中の人が幸せに」と書き、
自慢げに一番高い所に吊るした。
すでに吉沢恭子はB1病棟の新しいボスに成りつつあると直感した。
仲尾Dr.に腰痛が酷い事を告げると、一度国立病院に受診してみようと言われた。
当分シップで様子を見てもらう事にした。
それでも玄関までヨロヨロと散歩に行く。外は雨降りで、湿気を含んだ空気だけでも梅雨の匂いがする。
メールチェック。

*今日は朝から歯医者でした。
昨日生徒の田上俊平君が夏風邪がひどくなって病院に入院したので
歯医者の近くだし帰りにお見舞いもしてきましたよ。もう元気そうだった!
お父さんはまだはいずり回っていますか?闇が少しでも晴れるといいね。
私もただ毎日歯をくいしばって生きていますよ。
お父さんも命ある事に感謝して看護師さんや仲尾Doctorをもっと頼りなさいな。自閉的になったらダメだよ。
私に話すようにいろいろ話してみたらどうだろうね。のぞめよ~さらば与えられん‥さ!
黙ってても心の闇は晴れんよ。病院で一人でかかえ込まないで、人に頼る事も必要だからね。*

*今日は腰が痛くて湿布してもらった。どうにか生きてる。*

*歯をくいしばって生きろ!*

相変わらず手厳しい。泣き事言わないで生きてみろと言う。
七時三十分、突然玲子から電話がある。


「今、レッスンが終わったところ。心配だから電話しちゃった。」


こんなに玲子自身が大変な時にも、心の痛みが伝わり、
以心伝心で本当にびっくりするタイミングでいつも玲子が支えてくれる。


七月五日 水曜日 七時半ラジオ体操。朝は腰の具合は少しは良い。
シーツ替えを看護師に手伝ってもらい、マットを厚手の物に替えてもらう。

午後から腰痛悪化。仲尾Dr.から明日の玲子の面会後に国立病院整形外科に紹介状を書くので、
近いうちに受診する様に言われる。気分的に少しはましになった。

三時四十分にヨロヨロと玄関まで歩いて行く。足の痺れが酷い。そしてメールチェック。

*頭痛くて寝てたらもうこんな時間になってた。(恐怖。)
頭痛さえのぞけば普通の一日でした。
明日一応仲尾先生に相談してみて、国立病院にお父さんと一緒に行こうね。
先生に紹介状書いてもらっといて。
明日朝早めにそちらに行くね。昨日は意外と声にはりがあったからうれしかった。明日‥ね!*

*無理しないで。*

*なんの!私は大丈夫!でもありがとう!*



七月六日 木曜日 九時頃玲子から電話がある。腰の痛みについて説明する。

午後一時、玲子がやって来る。腰痛ベルトを薬局で買って来てくれる。
生茶と顔のアトピー用のビオレも助かる。
七月十日午前十一時に国立病院整形外科を予約する。


「お父さんは心の病から逃れる為に、体の不調な所が一番辛くなって表に現れる自衛本能だから大丈夫。」


と言って痺れた足を揉んでくれる。


「北朝鮮のテポドンってほんとに頭にくるとは思わない?テレビのニュースはちゃんと見ないとだめよ。」


「龍之介が近くの竹藪から笹を取って来てくれたのよ。お父さんの代役は俺しかいないと言って。
短冊を持って来たからこれに書いてね。」


手渡された短冊に「病に勝つ」「家族を守って」と書く。
玄関まで腰痛の二人はよろけながら歩く。ヨチヨチと歩いてゆく。
オペルが大村湾沿いを見えなくなるまで俺は手を振り続けた。
四時十分にメールチェックを入れる。

*愛の腰ベルトはどうね~?大丈夫!心配いらんばい。
何年父ちゃんと一緒におると思うとっとー!
月曜日はドライブに母ちゃんと行ける位に思っときぃ。父ちゃんは薬が減ったのと腰痛がよかった?
のか粗こっちの世界に帰っとると思ったばい。物事が順調に進んでいる時にはその人の本当の力は見えにくい。
辛い、悲しい、苦しい、やるせない状況~自分に不都合な状況になった時、
どのような態度で与えられた状況に対処できるかで、その人の人生の実力が決まるもんさ。
苦境の中にも生きている明かしを見る事ができ~その状況を幸せと思えるかどうかに懸かっているんだから。*

*玲子の言う通り。*

*やろ!やろー!*


自分自身では現実と対処しようと言う気持ちから既に逃げているから、何処にも魂の行き場が無いのだ。
卑怯者の自分が潜んでいるのだ。

桑原看護師から携帯電話の使用が特別に藤沢さんにだけ認められている事について、
他の患者さん達から怪しまれているので、細心の注意を払うよう忠告される。
今後ナースセンターでの携帯電話の使用中はドアをロックする事を徹底するらしい。
他の患者達と深く踏み込めなかった理由がやっと解った。
それは他の患者さん達に対する強い負い目だったのだ。

 
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B1病棟@其の8 | もう一つの OneNote

2017/06/23 (Fri) 00:51 | Road Stud #EBUSheBA | URL | 編集 | 返信

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B1病棟@其の8 | もう一つの OneNote
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qectodhqn http://www.ghu3191w6n40k37c26ebepz66p04xai7s.org/
[url=http://www.ghu3191w6n40k37c26ebepz66p04xai7s.org/]uqectodhqn[/url]

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