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B1病棟@其の6

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B1病棟@其の6


個室ではじっとしていては体が訛るので規則的に筋トレをして気分転換をはかっていた。
自分の精神状態はもう明らかに躁状態ではなく、急速な鬱傾向にあることが解かる。
あんなに歌が歌いたかったり、英語が喋りたかったのが嘘の様に興味が湧かない。
気持ちが沈みこんで、何もする気になれない。感情の動きも鈍化してしまっている。
羽田Dr.によれば、躁状態が激しかったぶん鬱の波も強く出るし、
薬の効き目がとても早い体質との説明があった。

精神のエネルギーが枯渇してしまっているので、そのぶん薬で流失を防ぐのだ。
五月十七日 水曜日、今日から開放時間が午前十時から午後四時まで延長になる。

はじめてB1病棟の患者たちを目の当たりにした。
気味の悪い連中がうようよしていて、なるべく目をあわさずに行動した。
分裂病しかり、アルコール依存症しかり病状が慢性化して廃人のような患者がいる。
体中アトピー性皮膚炎で掻きむしり顔がただれた少女、涎をたらした肥満の女性、
薬の副作用による激しい痙攣で満足に歩けない男性。
叫び声があちらから此方から聞こえる。

今日から買い物を頼む事が出来たので、
ペプシコーラとベビースターラーメンそしてノートとボールペンを買った。

ここでの体験を日記に記すのだ。
それは自発的に自己分析をしたい為でもあった。
石塚さんが色々B1病棟の案内と仕組みについて教えてくれた。
三ヶ月以内の急性期の患者が殆んどで、他に慢性期病棟や小児病棟があるとのことだ。

将棋をしたがあっけなく負けてしまった。
思考能力が低下している為に頭がまったく回らない。

午後から麻雀に誘われる。
東の二局で役満を上がるが一向に楽しくない。
後ろから見ていた羽田Dr.が語りかけてきた。

「普通なら大喜びする場面ですよね。やはり鬱傾向が進行していると思われますが、
藤沢さんには効欝剤が使えませんので、リスパダールとアキネトンを完全にカットしてみます。
それから私は残念ながら今月いっぱいで国立病院に移動になります。
就職については家族とも病気との兼ね合いがありますから慎重に決めてください。
また奥様に躁であるかを絶えず見てもらう必要があります。
藤沢さんご本人は解りませんから。
来週五月二十四日前後に大部屋に移動してもらう予定です。」


主治医 羽田 伸治
病棟A2病棟 平成十八年四月二十四日
病名   躁極性感情障害
病状   多弁 多動 昜怒性
治療計画 薬物療法 休息
検査内容 X線、CT 血液検査 脳波など
予想される入院期間 三ヶ月程度


五月十八日 木曜日 十時より羽田Dr.との面談。入院計画書にサインする。
開放時間が午前六時三十分より午後九時まで延長になる。家族との面会も可能となる。
しかし、まだ心の整理が付いていないので会いたくない。
午後から麻雀をするが、現実離れした状況に急な不安感を覚え始め集中出来ない。
残された家族のことが気がかりだが、なすすべが無い。
病気のリハビリと職探しは同時にはできない。
もう一度躁状態になるのを覚悟でテンションを上げて係らねばならないだろう。
自分なりに今後の就職活動の優先順位をまとめてみる。

1・ベンチャー企業退職後 
労災扱いの訴訟を起こす。しかし双極性感情障害では不可能との事。
サービス残業について労働基準監督署に直訴する。
極秘データによる揺さぶり。警察の不正偽造班担当者への密告。
これによる契約社員として再雇用を働きかける。

2・広告代理店へのアプローチ。ベンチャー企業とのメディア独占契約を勝ち取り、
TV、FM、印刷メディアを具体的に提案。
これまでの人脈を生かして、長崎市、県庁、長崎大学のマルチメディアの受注。
サーバー管理業務でのメディアサポート。九州組合の人脈で長崎に大型ディスプレイの導入。
出島ワーフ、グラバー園。出島復元事業、県立美術館へのアプローチ。

3・大変お世話になっていて誘われている会社に、これらの具体的提案で就職する。

4・ハローワークによる早期就職の確保。

5・リクナビによる全国より長崎営業所や支店を探す。

いづれにしてもここでの入院期間の早期退院と病状の安定が無ければ前途多難であろう。


五月十九日 金曜日 台風一号の影響で朝から雨。
羽田Dr.より、来週初めの月曜日に玲子との面会を予定したことを告げられる。
いよいよその時がやって来る。

約一月ぶりの再会となる。
はたして自分を受け入れてくれるのだろうか。
子供らはどうしているのだろう。
開放時間に洗面所で鏡に映った自分の顔を見てみる。
髪は伸び、髭も伸び放題だ。髭にも癖があり、顎鬚が左から右にカールしている。
目はうつろで、これではまるで他の精神病患者と代わりが無いではないか。
そのままを玲子に見てもらおう。
石塚さんは今日から大部屋入りされ、先を越される
。麻雀をした後、久しぶりにテレビでミュージックステーションを見る。
やはり音楽は良いものだ、心が癒される。


五月二十日 土曜日 昨日は色々考えていて寝つきが悪く、八時まで寝ている。
風呂の時間がわからず間に合わずに落ち込む。
午後からも殆んど寝ている。鬱傾向が続いている。
夕方風呂に入りそびれた事を看護師に言ったら、シャワーを許可された。
気持ちよくストレス無く体を隅々まで洗えた。
他の患者とごった返す入浴はいやでしょうがなかった。
看護師の中で一際聡明で明るい美人でもある、後藤さんの存在がこの病棟では大きい。
将棋をしたが全く歯が立たずあっけ無く負けた。
いつも明るい笑い声を唯一この病棟に響かせておられる。
病院の食事は朝、昼、晩とも個室にトレイに乗せて運ばれてくる。
比較的美味しく、病人食では無いので量も多い。
食欲にむらが有り、きょうはカップラーメンを食べて寝る。


五月二十一日 日曜日 晴れ。鬱傾向続く。
明日の玲子との面会と長崎県精神保健福祉センター面会について考えをまとめる。
病気と再就職でここまで追い詰められると、薬を飲まなくても鬱になる。
本当に重度の精神病患者になるのではないだろうか。
今後の生活を果たして生き抜けるかが問題だ。

午後になって突然大部屋への移動を羽田Dr.より伝えられる。
三人部屋での共同生活が始まった。
分裂病の若い、可部 桃太郎氏と重度鬱障害のご老人、松村 浩氏だ。
簡単な挨拶をして荷物を運び込む。出入り口のドアに一番近いベッドに潜り込んだ。
自分ではまだ大部屋でのストレスの掛る入院生活は早い様な気がする。


五月二十二日 月曜日 今日から食事を食堂で食べることになる。
トレーが運ばれてきて、自分の名前のプレートを見つけて、ごった返す食堂で座るスペースを探す。
皆他の患者は自分の座る場所を確保していて、俺は左隅で太った分裂病の女性と一緒に食べた。
目が合うと「おいしいね。」と口の周りをべとべとにして笑った。
朝から心理テストの検査がある。
ありきたりのお馴染みのものだ。

長崎県精神保健福祉センターより面談がある。
三人の審査官による簡単な質問があり、
この病院に最終的に入院しているのは仕方が無いとのことで事務的にあっけなく終わる。
こちらの主張などまるで通らずに白けてしまった。
午後から玲子との面談が予定されている。
病室より羽田Dr.により面会室に通される。

一月ぶりの再開だ。
玲子は椅子に腰掛けており綺麗に着飾ってきている。

涙ながらに手を握られる。
次々と目からキラキラと涙の雫が落ちる様子を俺は不思議そうに眺めていた。
不思議となんの感情も俺には沸かなかった


「会いたかったよ。ずいぶん苦労したね。まるで漂流者みたいよ。
目が深い海の底のように誰も信じていない色をしているよ。
怯えきって、まるで手負いの狼みたいよ。
大丈夫、私がついているから。」

そしていつもの様に、手と足の裏を揉んでくれた。


「あの頃は本当に怖かった。突然、戦争の起こる理由を十秒で十個言えとか、
会社の手先になって心療内科の薬まで仕組んだとか言って毎晩攻めたのよ。覚えてる?」


「その時はそうとしか思えなかった。警戒心の塊だったからな。」


「龍之介はあの晩、部屋に閉じこもり大声で三時間は泣いていたわ。
無欠席だった学校も三日間休んだの。
麻衣子は精神医療の講義中にお父さんの遺伝体質のことを気にしてパニックになり、
自分で精神科に行って、効鬱剤は使えないので安定剤を処方してもらっているの。
私の英語の塾も精神病の人間が家にいては出来ないよ。家のお金も全部持ち出すし、
どうして良いか路頭に迷ったわ。今回のことで、周りに大変な迷惑を掛けたのよ。」


「家族を守る戦いだったんだ。お金は何処かから振り込むつもりだった。
どうして最後までやらせてくれなかったんだ。これでは家計が持たないだろう。」


「あのまま会社に乗り込んでいたら、必ず逮捕されていたわ。ああするよりしかたがなかったのよ。
お父さんのためだったのよ。もうどう考えても自分の手ではお父さんを止めることは出来なかったわ。」


「会社から解雇手当が二十四万円振り込まれていたの。六月までは大丈夫、心配しないで。」


「今後退院したら島根のお兄さんと医療保護を受けて生活するか
、誘われていた印刷会社に正直に病気の事を言って、ストレスの少ない仕事をさせてもらうしかないわね。」


「毎日、羽田先生と電話でやりとりしていたわ。面会は出来なかったけど毎週二回はこの病院に来ていたの。
洗濯物を引き取るのと、羽田先生のカウンセリングを受けていたのよ。」


「今日はこれくらいで勘弁してくれ。とても疲れた。」


ナースステーションの厳重にロックされた扉から玲子を見送る。
強い脱力感が襲う。
認識のズレが大きい。
俺はいったい何のために戦ってきたんだ。
躁状態まで利用して危険を冒してまで。

その後、羽田Dr.より面談がある。
ご家族の精神的ダメージが大きいこと。特に龍之介のダメージが心配であることの説明があった。


五月二十三日 火曜日 殆んど塞ぎ込んで寝ている。
昨日の玲子との会話が頭から離れない。
なんども繰り返し考えてみる。
この病棟で繭に包まれる様に薬物療法で過ごしてきたのに、
玲子との面会で自分の為に家族が大変な状況にある事を知り、動揺を隠せない。
昆虫の蛹の変成のように脳が溶け出し、再び形を形成する段階で、
外界から強い刺激を与えられた様な感覚だ。
蛹に強い刺激を与えられた昆虫は、脱皮して成虫になってもその姿は奇形になってしまう。
鬱がますます進行した。

今日から一部外出許可が一時間だけ取れたので院外に散歩に出かける。
病棟から渡り廊下を外来のラインに沿って進む。
初めて副院長から保護入院を言い渡された部屋が見えた。
小児病棟の若い女の子達が楽しそうにおしゃべりをしながらすれ違う。
正面玄関の自動扉から院外にでる。
外の空気を胸一杯に吸い込み、小高い丘の上から景色を眺めた。
竹林から筍が発する臭いは精子のそれに似て、強烈なフェロモンを大気に拡散させている。
生命の伊吹が感じられる。

大村湾が太陽の反射で輝いている。
その海岸線を這うように玲子が車で通う道が遠く連なっている。
こんなに遠くまで通い詰めている事に胸が痛む。
羽田Dr.面会。


「藤沢さんのご家族に対する心痛な思いは入院当初からよく理解しております。
四六時中ご家族の事をお考えなのでしょう。入院生活にも支障があるかもしれません。
そこで治療の一貫としての特別の配慮で、本来なら厳禁であります病棟内での
携帯電話の使用を携帯でのメール受信と言う形で一日一回許可します。
例外中の例外での試みですので、他の患者さんの目もありますので、
ナースセンターの奥の控室で受信して下さい。
これはあくまで私の藤沢さんに対する治療の一貫で例外的に許可するものです。
またご家族と相談して、外泊が出来るよう動いてみます。」
との説明があった。

ナースステーションのカーテンの影でメールを内緒で素早く打つ。

* 一通のみ、メールのやり取り出来ます。龍之介や麻衣子の事も心配です。*

玲子からメールが届く。

* そうかぁ、うれしいね~一通だけでも。
お父さんの事ずっと心の中で考えてたよ。
麻衣子や龍之介は私が頑張ってフォローします。お父さんー大好きですよ。
こんなになってもそれだけは変わらないから!安心して。*


こんな状況になっても、人は好きとか嫌いとかで稟としたスタンスで生きられるものだろうか?
しかし今の俺にとっては理解できずに戸惑うばかりだ。


五月二十四日 火曜日 殆んど寝たきり。
約三か月入院すれば、すでに家計は持たず、あの家での生活は不可能なのではないのか。
玲子のレッスンや龍之介の大学受験はどうするのか。
愛犬のピーとサクはもう飼えないでお別れしないといけないんだろうか。
何処からどう手をつけて良いのか解らない。
羽田Dr.面会。


「鬱傾向が進んでいます。先日の玲子との面会がストレスになりました。」


「躁のリバウンドが強く出初めていますが、坑鬱剤が体質的に使えないため向精神薬を調整してみますから、
しばらく辛抱して下さい。外泊に向けてご家族との調整を奥様と段取りを取っています。」


と説明があった。


「この様な強制入院の場合、離婚になるケースが大変多いので細心の注意を払ってください。
ご家族はあんなに怖いお父さんはもう二度と見たくないはずです。
ご自分がこれは病気であることを再認識しないといけません。」


と強く言われた。
いそいそとナースセンターに出かけてメールチェックしてみる。
控え室に入るとこそこそと看護師が充電しておいた携帯を渡してくれた。

* 毎日 四時半までにチェックのみ、でも嬉しいね。*

* 子供らたのんだよ。*



五月二十五日 木曜日 体がとてもだるい。
今後の職さがしに途方に暮れる。退院後が本当の地獄かもしれない。
CT、レントゲンの検査がある。
五島さんから麻雀をさそわれたが断る。とてもその心境になれない。
石塚さんより来週外泊許可が出たと喜んでおられた。藤沢さんもDr.に言ってみろとアドバイスをもらう。
午後四時に決めたメールチェックをする為にナースステーションに行く。


* 歯痛がひどかったのでずっと休んでいた歯医者に今日行ってきました。
明日又そちらに行きます。
返信をしてはダメですよ。皆さん携帯は禁止だそうだから…。きまりはちゃんと守りましょう。又明日。*




五月二十六日 金曜日 今の現状では、鬱傾向でしかたがない。暫く辛抱が必要だ。
午後から玲子との二回目の面会をする。


「日本生命からお誘いが来ていて、就職するかも知れない。
お父さんの会社の離職に関する色々な事柄があって大変だったわ。
お詫びに行って、会社のすべてのカギを交換する費用を持ったりしてきたの。」


「つらい思いをさせているが、あまりに自分の置かれている現状は厳しすぎる。」


洗濯物を貰い、また来週月曜日に来るといって鉄格子から出て行った。
暫くしてメールチェックする。

* 今日は何もなかった。また会いたいね。*

羽田Dr.のメール受信許可の配慮で、随分、玲子とのすれ違いやわだかまりが取れて来たような気がする。


五月二十七日 土曜日 相変わらず風呂がストレスでたまらない。
慢性期の重度の患者は介護されて入浴するが排便もするし、苦渋に満ちた表情で関節をのばされる。
あせって出たために脱衣場にタオルを忘れる。
時間が過ぎるのをずっと待っているのがつらい。
早期退院の期待ももう無くなった。完全に寝込んでしまっている。
午後四時にベッドを這い出てメールチェックする。

* 今日も朝から仕事でした。
龍之介と二人で昼食を食べ二人分の買い物をチャッとすませました。
どんな夫婦を見てもうらやましいよ。淋しいよ。心が埋まらないね~お父さんがいないと。
町の求人紙ホットペッパーを一人でみて~お父さんに負担にならない仕事ないかな…なんて見たりもしました。
今日はこんなところです。月曜日に会いに行きます。返信したらダメだよ。Dr.羽田との約束だからね。*


五月二十八日 日曜日 島根の中海でシジミを採っている夢を見る。きっと子供の頃に帰りたいのだろう。
朝から体がとてもだるい。昼食のあまりのまずさに食欲も無くなる。
好きだったゴルフのテレビを見るが、殆んど壁に掛けてあるカレンダーばかり眺めている。
現実にできることがあまりにないと、慣れることばかりでしょうがない。現実逃避、失望感が強い。
メールチェックする。唯一の楽しみだ。

* 今日久しぶりに麻衣子が帰ってきたので龍之介の誕生日会をします。
麻衣子がハリーポッターの新しい本をプレゼントに買ってきました。ケーキも買いました。
ささやかですがお祝いします!心の中でお祝いしてね。明日行くからね。返信はだめだよ。*



五月二十九日 月曜日 朝起きるのが辛い。二度寝してしまう。
午後玲子との面談があるが、面会室がふさがっていたので食堂で話す。
他の患者の視線が気になり、距離をおいて話す。
そしてついに言い争いが起きてしまう。


「俺は家族と子供たちを守るために、病気さえ利用して会社と交渉しようとしていたんだ。」


「いいえ、あなたはただ、家族に怖い思いをさせて迷惑をかけただけだわ。家のお金を全部持ち出し、
自分さえ良ければ良いのよ。自己中心的で親友の香織にも恐怖を与え、携帯まで奪っていったわ。
家族の事なんかこれっぽっちも考えて無かったじゃないの。」


「いつも此処のところの見解が平行線だな。どうして俺を信じられないんだ。もう頻繁に来ないでくれ。
洗濯くらい自分で出来る。」


「あなたは病気の自覚が足らないわ。心臓病や糖尿病の人が、
薬を一生飲みながら病気を利用して何か出来ると思う?
きちんと治療して一生薬を飲みながら付き合っていかないといけないんであって、二度と暴走は出来ないのよ。
あんな怖い眼をしたお父さんは絶対に子供達に見せることは出来ないわ。
私はきっとあなたにとって、躁で邪魔もの、鬱でストレスな存在なんでしょうね。」


「俺は一人で生きていく方が似合っているかもしれないな。解ったからもう来ないでくれ。」


見送りもせず自室に戻るとベッドに潜り込み、ネジが切れかけた様になっている。
風呂にも入る気がしない。自棄になって投げ出してしまいたい。
玲子に説明してももう面倒だし理解出来ないだろう。
メールをチェックするが何もない。心が空洞になっている。


五月三十日 火曜日 昨日の玲子との会話を思い出すたびに、すれ違いの大きさを思い知らされる。
何であんな事を言ってしまったのだろうか。
羽田Dr.との最後の面会をする。


「この病院への保護入院時のすれ違いは、どの患者さんでも起こることで時間がかかります。
そして何よりお互いの努力が必要です。いよいよ明日で他のDr.に引き継ぎます。
私と○大の同期で優秀なDr.ですので、何でも相談して下さい。」


「藤沢さんが此れまでご家族の為にやってこられた事を更に続けていって下さい。
でなければ、一家離散になります。保護入院での退院時はご家族側ではなく、Dr.が判断します。」


午後から寝たきり。顔色も悪く、病的で不潔。メールチェックもしない。


五月三十一日 水曜日 体のだるさがぬけない。朝から下痢を何度もする。
ベッドのシーツ替えが一際面倒だ。
午後から羽田Dr.と引き継ぎに中尾Dr.と対面する。
二浪している羽田Dr.に対して現役の仲尾Dr.は若くてボンボンの様で頼りない印象だ。
羽田Dr.には感謝している。
少なくともここB1病棟に強制入院させられて、唯一信頼できる存在だった。
ナースステーションで爪を切ってメールを此方から出す。

* 龍之介、誕生日おめでとうございます。
病気が回復したら、会いたいね。*

直ぐに返信メールが来る。

* 龍之介にメールみせます。
センター問い合わせしたかな?メールは毎日送ってます。
金曜日に会いに行きます。私は会いたくて会いに行くんだからね…待ってて下さい。洗濯物まとめてて下さいよ。*

* 二人で又力をあわせて生きていける日待ってますよ。*

今度の金曜日に来るそうだ。何だか嬉しい。
また一緒に生きてゆける日が来ると良いと心からそう思う。
心がまだ通じている幸せ、これがあれば遠い道のりでも
二人で乗り越えてゆける様な温かさが胸の中にポッと灯った。


六月一日 木曜日 龍之介十八歳の誕生日。ラビットラビットのおまじないを唱える。
俺が十八歳のころは受験勉強もろくにせずに能天気に仲間と麻雀ばかりしていた。
龍之介にも心に深い傷を付けたのだろう。
ろくな父親じゃないけど、やはり心配だ。
風呂で体を洗っていたら、足に指の又から垢がぬるりとずれる。気味が悪い。

石塚さん、今日から外泊の一回目。福祉センターより郵便が届く。継続入院の一言で味気ないまま終わる。
メールチェックする。

* 今日は歯医者に行ってきました。明日行きますね。*


六月二日 金曜日 今日が晴れで良かった。
昨晩は飼い犬のサクが溺れて沈んでゆくなどの怖い夢をたくさん見る。
中尾Dr.との面会。意外としっかりしている。


「現在の状態は気分的には落ち着いておられます。何か心配事はありませんか?」


「家族の事が心配でたまりません。早く仕事について、家族を養ってゆかねばなりません。」


「仕事を直ぐにするだけでは駄目です。病気との付き合い方が大切です。
今後は仕事と病気との兼ね合いが必要です。」


「引き続き、家族の精神的ケアーを頼みます。」


「次回はご家族で面会をして、病気との付き合い方の話をする様に段取りを取ります。」


午後になって玲子が面会に現れる。
小綺麗にしてきてくれて嬉しい。
昨晩のサクが溺れる夢を見た事を話すと、サクも午後十一時ごろ突然二階に上がりたがり、
ウオーンと鳴いたらしい。B1病棟の厚い壁をすり抜け、魂は遠い我が家に帰っていたのだろうか。
家の庭では俺が植えたジャガイモの花が咲き誇っているらしい。
季節は確実に移ろいでいる。
玲子と暮らせる事だけで、それだけで幸せだ。たとえ市営アパートでも十分だ。


「龍之介の進学、又は就職はどうなるのだろう。」


「本人はS大の農学部を希望しているわ。」


病気と職探しの話をする。
営業はストレスが掛かるから、もっと簡単な事から始めるようにアドバイスされる。

その後、中尾Dr.と玲子とも一緒に面談。今までで一番安定していたと玲子が説明をする。
玲子は何が何でもお父さんの味方だし、手を差し伸べ続けると言う。
この行為で自分の気持ちも天国と地獄の開きがあるのが不思議だ。

石塚氏が一泊二日の外泊から帰ってくるが、院外の生活はかえってきつかったらしい。
後一度の外泊で退院の運びらしい。
今日もメールが来ていた。

* 今日はお父さんと心通う会話ができて嬉しかったよ。
来週いい香りのする洗濯物届けるからね~
待っててね。もうすぐ仕事です。頑張るからね~*


六月三日 土曜日 六時半起床、ラジオ体操が心地よい。風呂に入るが、相変わらずストレスでたまらない。
今度は脱衣場にパンツを忘れて恥ずかしい思いをした。

重度の分裂病で一際気味の悪い男がいる。風貌は手塚治虫に出てくる座当市の様で、
両こめかみに円形の禿がある。間違いなくECT療法を頻繁になされている。
今日はその大坪さんからビスケットをもらう。
しきりに監視してくるのでウザッタクなりチャクラで威嚇したら、飛びのいて怯えた。


「殺される!あんたに殺される!」


精神病患者は気の力にみな敏感である。
少し昼寝をして、メールチェックする。

* お父さん何してますか?今日はとても暑くて夏のようです。
さっき洗濯物とりこむついでにちょっと草むしりしたら顔中汗だらけになりました。
龍之介が晩御飯はハンバーグがいい~と言ってくれたので、今から買い物に行こうと思ってます。
サクが最近とても寂しくなきます。昨晩も十一時位にそわそわして二階に連れてけ~と
せがむので連れて行ったよ。お父さんの事サクちゃん~きっと待ってますよ。
退院したら散歩にいかんばね。*


昨日の玲子との会話で心通じる所があった。
毎日の生活だけでも大変だろうに、これからの事など考える余裕さえ無いだろうな。
サクが寂しがっている様子に胸が痛む。

* いいショット送ります。
http://wwwb.docomo-camera.ne.jp/photo?key=ADLMQ8R1t9cmwSWBETBYYWKKWKSY20060603161312k537保存期限:06/06/13*


かわいいサクとまた一回り大人になった龍之介の写真が嬉しくも頼もしくもあった。
田舎へ帰ろうのテレビを見る。
家でもよく見ていたから、もしかして一緒に見ていることになりはしないかと思う。

夕食のデザートにビワが出たがあまり得意ではないので、お爺さんにあげる。
夜にあんなに好きだった格闘技K‐1のテレビが気味悪く怖くて見ていられなかった。
妙に闘争心を毛嫌いする傾向がある。


六月四日 日曜日 七時三十分起床。体が重い。昨晩は大変貧しい労働の夢を見る。
朝から大坪さんが暴れだし、ペットボトルを何度も壁に投げつけて、怖いことばかり言ってきている。
これはもうじきまた、ECTをされるんだろうな。
六月九日に体育大会があるそうである。
バトミントンで参加登録する。気分的にも不安定で疲れ気味。
午後になってテレビを長く見ていたので疲れた。まだ病気的の所があるのだろうか。
自分では90%以上、正常であると思われるが、本来ならこれからが鬱への戦いなのだろう。
メールチェック。

* 今日は朝から町内掃除~レッスン~諫早運動公園まで龍之介の高総体見学で
連れて行き~と忙しかった。
ちょっと疲れたかな。サッカーワールドカップが今日から始まるよ*

日常の生活が大変そううだ。麻衣子と龍之助との間に、何かトラブルが遭ったのではと気が気でしょうがない。
夕食のなんて不味いハンバーグなのだろう。玲子の作ったのが食べたい。

テレビのNHKでの大河ドラマで本能寺の変の山場に大変引き込まれる。


六月五日 月曜日 眠りが浅く朝起きるのが辛い。ラジオ体操の後二度寝する。
午後の風呂はごった返し、今度はタオルを忘れる。体重が少しずつ増えているのは、どうしてだろう。
たぶん向精神薬ジプレキサの副作用だろう。新しく開発された新薬だが、体重増加の副作用がてき面だ。

仲尾Dr.面会。現在の状態に変化が無い事を説明する。
気分の苛立ちや多弁などが少しでも有れば直ぐに言う事。
仕事の件は、段階的に選んで、出来る仕事からしないと、又病気になると言われる。
入院も退院してからもかなりのプロセスがあり、時間が掛かるし、
家計との天秤で玲子や龍之介にも迷惑を掛けてしまいそうだ。

只今休養中だそうだ。七月か八月以上入院しないといけないかも知れない。
退院してもあの家でピーとサクに会えるかも疑わしくなった。
メールチェック。

* 今小学生のレッスンが終わった。今日はあつかった。木曜日に行きます。
金曜日は歯医者だった。*

* 仲尾先生の面会あったけど、進展なし、長くかかりそうだなぁ*


毎日大変多忙な様子、玲子お疲れさまです。
髭剃りで襟足などの髪の身なりを少し整える。少しでも小綺麗にしないと本当の病人になるぞ。
今日一人退院になる人を初めて見た。家族共誇らしげだった。
アルコール中毒の髭の旦那さん、山本さんが外泊から戻って来られる。B1病棟のボス的存在だ。


六月六日 火曜日 やはり朝が辛い。仲尾Dr.面会。

ソーシャル活動をしてみたいと持ちかけたら、やはり乗ってきた。
明日から書道を始める。
午後石塚氏は甲状腺機能が悪くて国立病院に検査に行くそうだ。長年に渡るリーマスの副作用だろう。
精神病の上体を壊してはどうにもならない。
レクレーションの話し合いがあった。
六月十三日はサッカー観戦、六月二十日が映画鑑賞、六月二十七日がたこ焼きづくりに決まる。
そして六月九日が体育大会だ。
再び中尾Dr.との面会。

何と玲子と龍之介が病院に来ていたと言う。

とても驚いた。


「藤沢さんの現状と病気の説明を龍之介君にも説明しました。龍之介君はしっかりと把握していましたが、
まだ父には面会したくないと言われました。麻衣子さんはかなりのショックで、未だに父を受け入れられない
様子です。○大の心理カウンセラーを紹介しておきました。」


俺は心底家族を傷つけたのだろう。


「今後薬を一生飲み続ける事とお酒を飲まない様に。
仕事もやはりストレスのあまり掛からないものからするのであって、焦らない様にして下さい。
二度と家族に怖い父親像を見せてはなりません。
家族の方から見て、本人の病気に対する自覚が足らないと言われています。私も同感です。」


やはり自分本位で生きて来たからだろう。
メールを打つ。

* 龍之介に今日は遠いとこありがとうって言っておいて。*

* 改めて家族をひどく傷つけたと実感。*

しばらくして返信が来る。

* ごめん~レッスン中だった。龍之介はわかってくれるよ。*

今度は木曜日の面会らしい。何か心が恐怖に慄いている感じがする。ひどく怯えている自分がいる。


六月七日 水曜日 今朝は体調が良い方だ。今日からソーシャルだ。
午前十時から四五名でソーシャル室に移動する。プラモデルや陶芸、裁縫でも何でも好きな事をして良い。
子供の頃好きだった書道をすることにする。硯に墨を擦る匂いが堪らなく良い。
半紙に新月 と何枚か書くが、やはりどれも満足出来ない。下手くそになってしまっている。
ソーシャルでもストレスが溜まってしまう。
以前読んだ事のある、村上 春樹のノルウェイの森を借りてまた読むことにする。午後から読書を始める。
精神病入院歴の下りなどにも敏感になって読み耽る。
「才覚もなく、人望もないけど、嘘ばかりついて要領よく立ち回っている小賢しい連中とはちがう。
少なくとも根は正直だし、一本スジが通っているし、家族を愛している。」まさに俺の性分だ。
仲尾Dr.面会。ソーシャル活動について話す。


「無理にしなくても、行きたい時にすれば良いのです。」

とアドバイスして頂く。


「来週より、院外散歩の許可を出します。」


「携帯メールの受信は入院生活での効果が付加されていて、藤沢さんにとっては良いことだと思いますが、
くれぐれも特例ですので、他の患者さんの目に触れないように配慮して下さい。」


午後四時二十分、ナースセンターの陰で慎重にメールチェックする。

* もうすぐレッスンです。明日着替え持って行きますね。待ってて下さい。
半袖がいいかな~?*


* 二階の目覚まし時計たのむ*


龍之介は心強いヤツだ。頼もしいし、玲子を支えて感謝している。
龍之介が今回の病気で一番傷つけた本人かもしれないが、
心が鍛えられていて俺を受け入れるスペースを持っている。
明日玲子に会う為や、もしも急に龍之介や麻衣子に会うことになると困るので、ついに髭を剃る。
こざっぱりしたが、目がまだ虚ろだ。

夜、お茶の熱湯を左手にかけてしまい火傷をする。
今日も大坪さんが暴れまわって看護師に連れて行かれた。精神分裂病は病名に偏見に満ちた感があり、
変更しようとする検討で、統合失調症に病名が変わる。妄想、幻覚の存在、滅裂した言語や行動と緊張行動、
感情の平板化、非論理的、意欲の低下などで社会生活が困難になる。およそ40%は社会復帰可能となるが、
60%は病院の入退院を繰り返す。


六月八日 木曜日 曇りのち雨の天気予報だ。玲子も気乗りしないだろうな。
顔を洗い髭を剃り、ラジオ体操をする。
仲尾Dr.面会。よく眠れるか、気分にむらは無いかといつも同じことしか聞いてこない。すこし味気ない。
院外散歩を三十分だけ午前十時から午後四時の間認められる。玲子と午後面会することを話す。
風呂では今日は二人だけだったので、少しストレスが少なめで良かった。

午後玲子との面会のため面会室に通される。
今日は悲痛な顔つきで玲子は静かに語りかけてきた。

「六月五日 月曜日に家族会議をしたの。お父さんの外泊に向けて協力するように話したわ。
麻衣子とのやり取りでお父さんの事を今は考えたくないとパニックになり、収拾が付かなくなって
龍之介から打たれたの。
その日のうちに泣きながら帰ってしまったの。
龍之介は絶対に麻衣子を許さないと言うし、
私はオイオイと泣きながら、麻衣子が掌から砂がこぼれる様に失われた感じが残ったわ。
本当に一人きりなの。主治医しか誰一人として話せる人が今はいないの。
土日のスーパーの買い物で家族ずれの人たちがとても羨ましい。
親友の香織にもどんなに傷つけたかあなたは理解がたりない。今は疎遠になっているわ。
今回病気になったのは自分に責任がある事を再確認してちょうだい。
仕事や家族やストレスなど何かのせいにして病気になったのではない。
あのころのあなたの目つきや行動の恐怖は計り知れない。家中の包丁をしまい込んでいたのだから。
やはり麻衣子や龍之介を深く傷つけた自覚が足らない。
島根に連絡しても今回の事で二人とも鬱になって寝込んでしまい、
もう電話連絡してこないでと迷惑がられたわ。
これからの事はこれ以上私に振らないで。もういっぱいいっぱいでやっているのよ。
こんな事があってもレッスンは一回も休んでないのよ。とても疲れたわ。」

疲労が顔に出ている。精神的にも麻衣子の件もあり、ギリギイリだろう。
自分に出来ることが何一つ無い事に苛立ちを覚える。
返す言葉もなく又、かなりのショックを受けた。
俺が躁状態の時、覚えていないことで家族を傷つけてきたことも多いようだ。
本人だけが有頂天になっていて、多幸感や全能感に浸っていたのかも知れない。

病院スタッフより、現金の自己管理をするように言われる。
玄関まで真っ白になった頭で散歩に出かけ玲子が帰って行った大村湾沿いの曲がりくねった道を
眼で追いかけている。
メールチェックしてみる。

* 今さっき着いたよ。四時半位から仕事です。~なるようにしかならんよ、
お父さん。
今は自分の病気とむきあって先生になんでも相談して規則正しい生活を心がけ
仕事は龍之介や麻衣子の事考えたらなんでもできる~と思えて退院じゃないの?
私は自分なりに頑張る。誰も助けてくれないもん…。又会いに行くからねー誕生日に行こうね。*


勇気づけられる。子供たちへの愛情、継続する努力、
やるだけやったらなる様にしかならないのだから、頑張る。
会って話せないことも文章なら通じ合える事もあるので大変助かる。
麻衣子に対しては今回の俺の事は、父は死んだと思い込ませて気持の処理をしてるぐらいで、
やっと心のバランスを取っているのだろう。
十分に理解し合える可能性も少ないし、今後の麻衣子の心の成長にも危うさを大いに残すだろう。


 六月九日 金曜日 午前三時に目が覚めて寝付けず。昨日の玲子との面会のダメージが残る。
午前十時より体育大会が体育館で行われる。
バトミントンに参加するが、練習風景を見てレベルの高さに驚く。ペアは鬱病の吉岡さんだ。
トーナメント方式で8組が出場する。一回戦で強豪チームに当たる。
緊張の中、鬱状態でも試合を進めるにつれて、カンが戻ってくる。
ナイキのシューズと体育館の床が馴染んでくる感じがする。
体を動かす事は、心のバランスを取ることにも良い事であると以前龍之介が言っていた通りだ。
試合を進めるにつれてどんどんと挽回して大逆転での勝利で嬉しかった。
昼食の後、第二回戦を行う。優勝候補のチームにコテンパンに負ける。
吉岡さんと労をねぎらって握手を交わす。輪投げにも参加してベスト4にまで残った。応援している女性の中に可憐で熱い眼差しを持った人がいる。
福間 好恵さんと言って、入院して間が無い様だ。
来週退院予定の房山さんは女子のバトミントンで大活躍してベスト3まで勝ち残った。
躍動感があり、最後まで諦めないその姿勢に感動した。入院生活についてアドバイスを貰う。
だいたい三か月以内、二度の外泊が必要であることや、
外泊や退院に自信が持てない人も多い事を教えてくれた。
大会を終えてメールチェックする。

* 今日は朝一番で歯医者に行き~龍之介の定期券を買い~庭の花が枯れてしまっているので
OKホームセンターまで足をのばし少し花を買い植えましたよ。
よく二人で行ったね…病院でもなるべく身体を動かしたほうがいいよ。スポーツとかなるべく参加せんね!
身体なまらんように~他の患者とはお父さんは違う。愛が待ってるやろ?なんでも乗り越えようで。*

* 今日はスポーツ大会でした。バトミントンしたよ。いつも感謝してるよ。*


大変多忙の中、花を買い足したりする様子がはかなげだ。
自分の心の危うさや怯えは、本当は愛する事が必要なのだと思う事がよくある。
玲子から教えられることが多い。まだまだ心が現実からとても怯えているから、病気なのかも知れない。

仲尾Dr.との面会があるが、スポーツ大会参加の話などで終わる。

B1病棟の中にはボスグループの様な存在があり、かなり恐ろしい。
現在はアルコール依存症の山本さんがリーダー格のグループで
下っ端に同室の可部さんや分裂病の大坪さんが付いている。
新しく入院して来た人々にもグループどうしで争いの様な事が起きる。
自分は出来るだけ患者とは近づきたく無いので、いつも不安定な位置にいるのだ。
院内でストレスが溜る要因の一つになっているのは確かだ。
又、自分の心の危うさや怯えも合い間って、極めて消極的な対人関係しか図れていない。
人格的にも極めて自己中心的であり、病的なところがまだ沢山あるのだと思う。


 六月十日 土曜日 前日の体育大会による筋肉の張りが太もものあたりに気持ちよく残る。
風呂の時間を間違えてしまい、間に合わずショック。
消極的で再度シャワーを浴びれるように頼むことすら出来ない。諦めて下着のみ着替えて首筋あたりを洗う。
また読書を続ける。
午後ゴルフのテレビを少し見るが気もそぞろ。玄関までいって玲子が通う道を眺める。
可憐な福間さんから話しかけられて、入院生活について少し話をする。
体育大会では素敵であった事やソーシャルでは裁縫をして自分の服はほとんど作っているそうだ。
好感がもてる人だ。

メールを出してみる

* また何か厳しい状況になって無いかと心配です。*

短い返信が来る。

* 大丈夫だよ。元気してるよ。安心して~草むしりしてた。*

又胸騒ぎがする。玲子は何かあった時にはメールが少ない。多分麻衣子の件だと思う。
残された家族は自分の病気の事で更に傷つき、血を流し続けているのではないかと想像すると、
玲子や麻衣子や龍之介の悲鳴が聞こえてくるようだ。
まだまだ自分は深く傷つかねばならない現実が多く残されている。
自分の外の世界は物凄い早さで物事が動き変化しているのを実感するが、なす術がない。

夕方、石塚さんが国立病院から戻って来られる。今月中退院予定との事。
早く退院したい旨をDr.に行った方が良いとアドバイスをくれる。
双極性障害を発病してから十年以上、いろんな病院を転々としていたが、
最終的にここの丘の上の病院だけが受け入れてくれたそうだ。
平成十五年からここに通院していたが、躁転換して通院中に何日かして倒れて今回の入院になったらしい。
鬱から躁への転換がかなり長いタイプらしい。
入院生活の胸のうちの辛さを話し合い、その中で出来ることを話し合った。

一日中、不安定で心が怯えた状態であった気がする。
メールに不信感があったので、残された家族の傷の深さと家族のリハビリの時間の必要性も感じる。
山本氏と房山さんは最終の外泊に出られる。
やはり退院の間近な人は、何やら目つきに正常な力というものがあると実感する。


六月十一日 日曜日 午前八時まで寝ている。相変わらず不眠状態が続く。
ノルウェイの森を読破する。改めて二十年以上前の本でも印象がまるで違っていた。
入院生活に読書を加えて行くことは自分にとって必要であると思う。
生き続ける代償を払い続ける努力と心を開いて人生の流れに身を委ねる。心に留めておきたい言葉だ。
散歩に出掛けようとしたが、土日は不可との事でガッカリする。午後一時三十分までテレビを見ていたが、
心ここにあらず。
今回の病気の傷は深く深く抉られており、未だに残された家族たちには時間が足らない。
又、崩壊してしまう家計や家族関係や伴う現実に対する心の怯えは日増しに強まっている。
死んでしまう事と離婚する事とお互いの為とのバランスがあり、もう一度やり直せる気力が乏しく、
心の傷のダメージの深さで、一生をここで全部終わらせる事もあり得るかも知れないと思ったりする。
築き上げた事が玲子の言うように一瞬にて崩壊してしまう感じがある。
午後二時五十分ごろ急に涙が止まらなくなり、ベッドで声を殺して泣く。
ひとしきり泣いてしまうとまた無力感に襲われ部屋の中で一人閉じこもっている。
メールチェックしてみる。

* 昨日の草むしりとピーサクを同時に抱きかかえて二階から下りるのがいけないのか今日は腰痛がひどくて
動きにくいので朝からレッスン後はゆっくりしてます。お父さんは何してますか?薄曇りの日曜日だね~。
母ちゃんはお父さんとつながったロープを絶対離さないからゆっくり自分の力でのぼっておいでね…。
躁鬱病闘病記の小説書くくらいの余裕を自分に持って過ごして下さい。
どんなお父さんでも私は受け止めるから~小説書いて印税もうけたる位に思っとき。観察観察!
人ができない経験したと思ってーあるがままに受け止めよう。二人でなんかの仕事でも出来るといいね。*


一人で悪戦苦闘している様子が大変そうだ。玲子のロープは蜘蛛の糸の様なもので、
これに必死で掴んで登ってゆくしか今の自分には考えられない。
又、観察をして入院歴を書きものとして出すくらいの心の余裕をもって過ごせとある。
躁鬱闘病記だそうだ。又、泣けてきた。本当に稟として芯の強い人だと思う。人生のスタンスが揺るがない。

* 今日は心配して泣いたりした。少し安心*

NHKの大河ドラマで本能寺の変を見るが、又分裂病の大坪さんが暴れだし
バトミントンで一緒だった房山さんからどうにかしてほしいと訴えられたが、
自閉的な今の自分にはどうする事も出来ずに力無さを感じた。


 六月十二日 月曜日 眠りがとても浅くて睡眠不足が続く。
髭剃り、洗顔ラジオ体操。午前十時からソーシャル活動に行ってみる。
水彩画で紫陽花の花を描いてみるが、やはり下手くそ。
パソコンが何台かあるが、インターネットには繋がっておらず、患者はゲームでしか使用しない。
あれこれ突いていたらパワーポイントで心理プログラムのデータを見つけ出した。
進行の仕方から病気の簡単なメカニズム、継続投薬の必要性などが書かれており、すこしは参考になった。
富士 正晴の聖者の行進の本を借りる。
午後、思い切って早めに風呂に入る。四人ほどで割とストレスなくほっとする。
土曜日に入り損ねて、スポーツもした後なので、本当にすっきりとした気分になれた。
同室の可部 桃太郎氏から飴玉を貰う。同室なのに何も話さないので、嫌われているとおもっていた。
自分からコミュニケーションを取らない処から対人的にも孤立するのだと思う。 

午後三時院外に散歩に出かける。
大村湾沿いの海の見える曲がりくねった道路を
明日も玲子がはるばる来るのだと思うと、胸がしんみりとしてくる。
そして外側からこの病院を見ると丘の上の病院という異様な名前が付けられており、
外来時間午前九時から十一時という案内により、退院後の通院風景を想像してしまう。
ここに一生通院するなど本当に目眩がしてしまった。
これからの現実はとても強く傷ついたり、失ったり、
嫌なことばかりだという事は理解できているつもりなのだが、
想像を超えて、更に心の傷は深くえぐられるだろう。
落ち込みながらメールチェックする。

* 今日は腰がたたなくなりセイコツ院に行ってきました。だいぶましです。
明日は中学生が休みなんで朝からレッスンして昼からゆっくり行きますね。楽しみに待っててね。*

* 腰 大事にして下さい。明日は無理しないで。*

やはり腰を痛めて病院に通った様子、大変そうだ。これ以上無理しないではしい。
それでなくてもB1病棟内ではワールドカップ日本戦のビデオ観戦中の誕生日の面会と言うので、
嫌で嫌でたまらないのだ。
これくらい行き場のない入院生活での誕生日が似合わない状況も少ないだろう。
仲尾Dr.面会。明日の玲子との面会後会う事が出来るかどうか。
睡眠薬をもう少し強めの物に調整してもらうように依頼する。八時四十分までテレビを見ている。
ワールドカップ一色で今夜は日本中が夜更かししている事だろうが、このB1病棟では今夜も夜はとても深い。

 
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