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B1病棟@其の4

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B1病棟@其の4



また携帯が鳴っている。 
ディスプレイで息子の龍之介からだと解かる。

「もしもし、お父さん。何やってるんだよ。いいかげんにしろよ。」

かなり興奮しているらしく鼻息が荒く声が裏返っている。

「いいかい。暫くお父さんは姿を隠す。お母さんの事たのんだよ。任せたぞ。」

高校三年になる息子は我が家では一番正義感が強く体力もある。何かあったときには頼りになる男だ。
家族を守るために、これから会社と対決して少しでも有利な方向で仕事に就かねばならない。

またパトカーが警告燈をつけてすれ違う。
きっと長崎インターチェンジのモニターで高速に入ったことが知れて警戒の指示で動き始めているのだろう。
何台ものパトカーとすれ違いながら、佐賀県、福岡県から山口県まで携帯でやり取りしながらオペルを走らせる。

危険を回避するために、ただ東へ東へと爆進する。
山口のパーキングエリアに一旦停車してガソリンを補給することにした。
食料と、変装する為の帽子、ウィンドブレーカーとサングラス、携帯の充電器を買い込み、スタジオジブリの笑っている案山子の縫ぐるみを子供たちへのお土産にする。護身用に木刀を忍ばせる。
指名手配の張り紙をチェックしてみる。

いずれこのスペースに自分の顔写真が張り出されるだろうことを思うと奇妙に思う。

時刻はすでに午後四時を少し回っている。
日没までにまだ少しでも東に移動しておきたい。
オペルを再び高速道に進める。アクセルを踏み込み、トップスピードまで一気に加速する。
体はシートに押し付けられ心地よいエンジン音を奏で、生き物のように敏感に反応してくれる。

携帯を取り出し友人でもあり、取引先の営業マンの真田さんに通話する。

「藤沢です。ねぇ、ちょっと奇妙な相談あるんですが聞いてもらえますか。」

「詳しい事情は説明できませんが冷静に聞いてもらえませんか。」

「企業の機密に関するトラブルに巻き込まれてしまってのっぴきならない状態なんです。」

「まずい事に家族にも危険が迫まっている可能性があるんです。」

どうか都合をつけて今週末に自宅まで来ていただけませんか?
ボディーガードになって様子を見ていただきたいんです。
急なお願いで恐縮ですが何とか都合をつけて協力してください。
詳しいことは玲子から説明させます。何時も無理ばかり言って申し訳ない。」

「藤沢さん、いったい何事ですか。奥様からも連絡がありましたよ。いまどちらにらっしゃるんですか。」

「高速を東に向かっています。気持ち良いですよ。天にも上る最高の気分です。
山口県の東部くらいでしょうか。長崎から安全の為に少しでも離れる必要があるんです。
警察にも指名手配されてますから。冗談抜きで本当に非常事態なんです。
ハハハハ。こんなこと頼めるのは真田さんしかいません。」

「解かりました、いつもの藤沢さんとは少し変な感じですね。
何があったか解りませんが、週末にご自宅に伺います。」

「感謝します。声が変わって聞こえるのはチャクラが開いて覚醒したためかもしれませんね。」

日没まであと数時間だろう。
これからの対応を考えなければならない。
東京まで行けば少しのあい間なら人ごみに紛れて身を隠せるだろう。

会社との駆け引きの段取りを取らねばならない。
経済産業省補助事業にまつわる不正取引に関する証拠データはフラッシュメモリーにコピーして手元にあるのだ。やつらは血眼になって潰しにかかるだろう。

これからは知能戦だ。

社長も躁状態の病歴があり、その力を利用している経営者としてはとても危険で侮れない存在だ。

一人暮らしをさせている娘の麻衣子に電話する。
国立大学医学部の二年生で、今は解剖の実習で精神的にもかなりハードな時期だ。

「お父さんだ。そっちまで話は来ているだろうけど、身近で変わったことはないかい?」

「お父さん、どこにいるの?私は今から自宅に向かうところ。
ねえ、いったいどうゆうつもりなの?こんなに家族に心配かけて。」

「実家に戻るのは好都合だ。誘拐でもされたらどうしようかと思っていたんだ。
会社側は目論見が外れて血眼になってお父さんを探しているだろう。
手段を選ばない連中だからな。もしもの場合に備えて皆で行動を共にして欲しい。
真田さんにもお願いしておいた。」

「お父さんは診療内科の処方ミスで体質的に使ってはいけない効鬱剤で、極度の躁状態になっているだけだよ。」

「誰も追いかけてなんかこないよ。」

「いや、お父さんには解るんだ。」

「機密情報が世間に知れれば、ベンチャー企業として世界的に成長を続ける会社は大きなダメージを受ける。」

「会社の幹部たちはどうしてもお父さんを葬り去ろうと躍起になっているはずだ。」

「家族への危険だって例外ではないんだよ。ことが片付くまで安全に留意してくれ。」

「そんなこと無い!何処まで家族に心配を掛ければ気が済むの。つべこべ言わずに早く帰って来なさい!」

「その言い方お母さんそっくりだな。とにかく今は帰れない。頑張って皆で協力するんだよ。」

山陰道と山陽道の分岐地点に差しかかる。体力と緊張感を癒すために都会で一泊するほうが良さそうだ。

山陽道のほうにウインカーを点滅させて、広島を目指す。
たしか社長は海洋大学時代に江田島精神を叩き込まれたと言っていた事を思い出した。一度は訪ねてみたい所だ。

後方から白のクラウンが急接近してくる。
瞬時にギアチェンジしてエンジンブレーキで減速する。

やはり覆面パトカーだ。
警告灯を点けて右側の斜線から急接近してくる。
すでに時速は90㎞となっていたはずだ。切符は切れない。ナンバープレートによる捜査に違いない。
パトカーは右側に併走して窓を開け警官は大声で話し始めた。

「任意同行願います。車を左斜線に沿って停車してください。」

真っすぐ前だけを見ながら首を横に振る。
免許証は自宅に置いたままだ。こんなところで捕まるわけにはいかない。

「任意でしょう?拒否します!」

それだけ言うと窓を閉め、パトカーが強制的に停車させようと前に回り込まれるのを防ぐために前方のトラックとの車間を詰める。
頭はクールだが、心臓の鼓動が速くなってきた。
掌にじっとりと汗が出てくる。

必要に何度もパトカーは前に割り込もうとして来たが上手く車間を詰めてゆく手を阻み続ける。
こんどは時速を80㎞まで落として、パトカーが追い越しにかかろうとした途端に、また車間をつめてそれを阻止する。

かれこれ四十分はこの駆け引きをしていたために、後続は大渋滞で見る見るひどくなるばかりだ。
根負けした覆面パトカーは次のパーキングエリアでするりと左に入った。
応援を要請するか、検問をしかねない状況だ。
そこでこの先のインターチェンジから一旦高速をおりて、国道2号線を走ることにした。

日没も迫っていたし、広島まではあと少しだ。

広島市内に入り、市の中心部を目指して車を走らせていると、広島スポーツセンターの看板が目に留まった。
駐車場にオペルを止めて、案内板をながめる。
アイススケート場に入り込み、トイレをかりて洗面所の鏡を見る。
サングラスを外し、そこに映った自分の顔をまじまじと観察する。
彫りが深く眼光が鋭い。

まだ額にチャクラは現れていない。

閉館時間になり、行き場を求めてリンクに忍び込む。
そこで初めて社会人チームのアイスホッケーの試合を観戦する。
その迫力と躍動感に感動して何度もシャッターを切った。自分は何故か英語しか話さず、長崎から来た外人さんが観光に来ていると見られていた。

「外人さんですよね。フレンドリーに行きましょう。」

「ユーアーウェルカム、アイ ルックアップ ディスゲイム ヴェリーナイス。」

彼らは二時間に渡ってハードな試合と練習を見せてくれた。
お礼に自動販売機でたこ焼きを買ってプレゼントする。
又、休憩時間に英語で話し合い続けた。

ホテルを探し出したのは午後十時くらいだった。疑いの目で支配人から見られていることが解る。
現金のたばをみせて、その対応の悪さを一括する。

ホテルは完備が行き届いており申し分は無かった。
腹が無性に減ったのでレストランでステーキをがむしゃらにほおばる。
室内に戻っても眠気は一向に訪れない。これからの戦いに備えて再度プランを練り直すことにした。
もしかしたら会社から何んらかのコンタクトが玲子に入っている可能性もある。

玲子に疑惑のメールを打つ。

* 始めから仕組まれた事、事実は直ぐ解ります。お泊まりセット活用しておきます。
やっぱり嘘は直ぐ解りますね*

会社には何度も連絡を入れて、それと無く脅迫じみた事を伝えていた。

「東京テレビの日本の夜明けの担当の山田と申します。」

「吉田総務部長をお願い致します。」

「来週の取材の件ですが、経済産業省補助事業に関する不正疑惑の情報が入っています。」

「真柴社長に真意を確認したいのですが、お取次ぎ願いますでしょうか。」

ベンチャー企業は二日後に面会することにして、多分警察に警護を頼んでいるだろとから、会うのは社長の自宅のほうが良いと思う。
こちら側の要求は、機密文書のフラッシュメモリーを渡す代わりに契約社員として再雇用してもらうことだけだ。
それが無理ならば社内の印刷物と全ての広告宣伝費を全て任せてもらい、ブローカーとして生き残って行く方法だ。

また会社にメールを打つ。

* 平成十五年度経済産業省補助事業不正 三朝工業所との共謀。
安心せよ。容疑が晴れたら会いに行く。*


そして尾崎Dr.の怯えた顔と国立病院の写真を添付する。
自分がすべてを知っていることを安易にほのめかした。

テレビで突然、ヒンズー教の神々の解説が目に留まりくぎづけになる。
破壊神にしてシバの息子のスカンダが地獄の怒りの炎で全てを焼き尽くす様が自分にそっくりだ。
まさに今の自分は戦いの神シヴァとして覚醒して、初めて神の領域にまで達したのだと実感した。

また額のチャクラが目を見開き、活動を催促するのだ。

まさに狂気のなせる業だ。体力に充実しており、あふれるアイデアで即座に反応し、疲れ知らずの力がみなぎる。
そのくせ何故か直ぐに感傷的になって心が熱くなる。
かならず今の調子なら上手く行くであろう。なにせ此方はシヴァが憑依して覚醒した破壊神だからだ。

玲子にメールを送っておく。

* 心配かけています。気分は落ち着いていますし、沈着冷静です。
かなり厳しい電話とメール攻撃を会社に掛けていますので、早めに落ちるとおもわれますが、
何せ手負いの虎ですから用心が必要です。皆様協力して貰えますでしょうか? 感謝、感謝。*


すぐさま返信が来る。

* みんな悲しい思いをしています。みんなを悲しい思いにさせる事があなたの幸せなんですね。
今回の事でよくわかりました。島根の兄と同じ行動だとお母さんもなげいておられます。*


こうなったら、とことん戦う。

我は戦いの神シヴァ。何千年もの古に時を越えて我は此処で覚醒したり。

全てを焼き尽くすまで我は戦いを止めないだろう。

仏教信者達は千手観音再来として拝み、火星の守護神にして人々は我の前にふれ伏すだろう。

逆らうものは情け容赦なく千手観音の如く世界の再生のために殺戮するであろう。

我は戦いの神シヴァ。

人間から最も恐れられた存在だ。


真柴 賢一社長に何度目かのメールを送る。

* 喩え噺 *

*シヴァの息子にして戦いの神スカンダ。人は火星を崇める *


ここまで用意周到であれば、必ず上手くいくと確信し、自信に満ち溢れていた。
あとはゆっくりと休息をとって、明日に備えることだ。
明日は昔から神の島として崇められた安芸の宮島に観光に行く予定にすることにした。
一人旅など何十年ぶりだろうか。

朝食はホテルのバイキングを利用した。
どれも大変なご馳走で、目移りする。それに極度に食欲が増進されており、三人前はぺろりと食べた。
玲子に電話して広島の知人宅の電話番号をメールで送ってもらう。暫くして返信のメールが届く。
一刻も早く帰ってくるよう追伸があった。

大学卒業後就職した外資系製薬会社の先輩と連絡が取れそうだ。
明後日待ち合わせて再開するよう段取りを取りきめた。


電車を乗り継ぎ宮島へと向かった。
その間、先輩の小車さんと連絡が取れた。あすには自宅に招待していただけるようだ。
疲れしらずのうえ、浮かれ気分でますます行動力が増し、多幸感に満ち溢れている。

電車の中でも色々な人に話しかけて写真を撮ったりしていた。
まさに世界は我のために祝福の賛美を与えているのがひしひしと解るのである。
宮島に電車で到着したのは午前十一時くらいだろう。
フリーパスなので待つ時間が無くてとてもスムーズだ。
広島はさすがに都会だけ会って町並みが洗練されている。
かつて長崎と共に原爆で破壊された町とはとても想像もできない。

宮島は離れ島なのでフェリーでたどりついた。
この宮島で歴史と悠久の日本文化を備えた観光と、もうひとつ大切な用件がある。
ベンチャー企業社長の原点である江田精神を学ぶことで、少しでも攻撃相手のことを理解しておきたかったためだ。

感動と興奮の中、先ずは日本カモシカが出迎えてくれた。とても人懐っこくてかわいい。
厳島神社の朱色の大鳥居の浅瀬で潮干狩りをしてみる。

ちょうど大潮の干潮らしい。
磯の香りが鼻腔をくすぐる。

大量のアサリがとれて観光客に分けてあげた。
地元島根ではよくこうやってシジミを採っていた。
この今の自分の有様を見たら、きっと母が鬱病にかかってふさぎこむだろう。
本質的に弱いので、自分のことだけで生きてきた人だから、俺が困っていても現実的な支援は期待できないだろう。

宮島は本当に素晴らしいところだ。
日本の悠久の美が詰まっていて、それでいて観光的に整備されている。

仁王堂から厳島神社へと回りそこで古式ゆかしい結婚式を見た。
花嫁の何と美人で美しいことか。絵に描いた様な風景だ。

新緑の中、紅葉谷川に沿って、すがすがしい紅葉の新緑に鹿が戯れる姿を見ながら上流に進む。
ロープウエイを乗り継いで弥山山頂まで上る。

途中外人さんと親しくなり、ますます英語が話せるのが不思議なくらいだ。
山頂から江田島が見えた。社長の原点の島だ。思っていたより小さな島だった。
かつて日本海軍兵の養成場としてその厳しい精神を叩き込まれたところだ。
もう一段高い山頂が険しい山岳道で続いている。2㎞はあるだろうか。
一気に駆け上る。体に力が満ち溢れ、本当に疲れを知らない。

途中で千手観音の像を目配せしながら走り続ける。
山頂からの広大なパノラマにまた感動する。瀬戸内海から遠く四国まで見渡せる。
それにしても広島は美人が多い。長崎はチャイニーズ系だがここは和風美人だ。

雨が霧雨となって降りつづけていたが、一向に気にならない。心置きなく一人旅を満喫出来る。

精神も体も自分が思うがままに操ることが出来るのだ。



この体験は正に神の領域である。
雨も上がり新緑は見事に太陽光を受けて光合成の呼吸を繰り返し、
雨は清水となり川から海へと光輝きながら流れる。
大地はゆっくりと自転し、空は益々大気と太陽光との乱反射で青く染まる。
そして遥か宇宙ではこの星も太陽の周りを公転し、また太陽も銀河系を周り、
そしてその銀河もまた宇宙の螺旋の中で動き続けるのを感じる。
宇宙の構成物質は何億年をかけて生命を生み出し、その遺伝子は進化を繰り返す。
恋人達は肌と粘膜をどうしようもなく擦り合わせたくて仕方がなく、
子供達は皆歓喜の笑顔を見せつける。
何という多幸感なんだろう。
神の視点で全てが現実に体験できるのだ。


双極性障害患者にはピカソや川端康成など多くの天才がいたが、共通して優れた感受性と想像力で神の視点を持ち合わせていたであろう。
脈々と受け継がれる遺伝子の中で、双極性障害者は人類のある意味での進化型ではないだろうか。
躁状態を自らの意思でコントロール出来るとしたら、そして正しい事のみにその力を利用できるとしたらどんなに素晴らしい新人類となれるのでは無いのだろうか。
こんなにも多感に生を実感できるのだから。


ホテルに戻りもう一拍する手続きをして部屋に戻り、冷えた身体を熱いバスタブで温める。
玲子に明日帰ることをメールする。
今どこに居るのか聞いてきたので、四国のお辺土さんをしていると嘘をついておいた。

我すでにこの戦いに勝利したり。心も体もリフレッシュしている。
会社にも何度も電話で脅迫めいたことを言って来たので厳重に警戒していることだろう。
ところが機密文書のデータが此方にあるために下手には動けないはずだ。
用意は周到に出来上がっている。
万が一逮捕となればその時点で機密データは警察の不正偽造班に郵送する手はずだ。
この駆け引きは此方に分がある。必ず警察のいない場所で交渉出来るだろう。




ホテルをチェックアウトして小車さんと携帯でやり取りしながら郊外の高級住宅街にたどり着いた。
先輩の小車さんとの十年ぶりの再会は実に楽しいものであった。

近況を語り合い、酒を酌み交わす。
小車さんの奥様と娘さん二人とのきっちりとした暮らしぶりが微笑ましい。
しかし玲子を安心させるために電話をして小車さんに替わった時、顔色が少し曇った。
一刻も早く返して欲しいと言われたと不審がっていたが、しばらくして皆でテニスをする事になり出かけることにした。


コートで久しぶりにボールを打ってみる。
躁状態では集中力も凄く、するどいドライブで小車さんを驚かせる。
サーブに到っては唸リ声と共に渾身の力での火の出るようなボールが決まり、
こいつは何者かと思われているようだ。
四時間ぶっ続けで全力でプレーしたのに、全く疲れというものを知らない。
体の細胞が活性化していて、エネルギーに満ちている。
反射神経や運動能力、集中力もこの躁状態というものは寸断に高めてくれるものなのだ。
どこまでも何でも出来る力なのだ。

楽しい時間もあっという間に過ぎてしまい、小車さんたちと別れ際、窓から笑った案山子で手を振り、帰路長崎へとオペルを走らせた。

これからが本当の勝負だ。
何としても職を手に入れねばならない。



途中実家の兄に電話をした。
躁鬱病の先輩としても聞きたいことが沢山あったからだ。

「躁状態を社会や家族のために利用することは許されることだと思っているがどうだろう。」

「今の自分にはその答えができない。わしは病状がかなり入り組んでしまい、現実を把握できてなかったからな。」

「しかし、兄貴も知っているように、田中角栄の甲状腺異常更進であれだけの仕事ができたわけだし、ヒットラーや聖徳太子の逸話なんてまさに躁病患者のなせる業でしょう。」

「わしは経験から言うと、躁に走るのは危険が大きすぎると言うことだ。」

「おまえもこれ以上警察沙汰にならないようブレーキを一旦踏んで辺りを見渡せよ。」

「そうか、よいアドバイスだ。でもそんなことを言っている状況じゃ無いんだ。」

「家族をどうにか守ってやらないといけないんだよ。」

「絶対に無理だけはするなよ。」

「わかった。じゃあ、また。」



広島から高速で西に向かって走り続けるが、パトカーが大変目立つ。
何か不可解で玲子に連絡をする。

「警察は何の容疑で俺を指名手配してるんだ。」

「家出捜索願いだけよ。」

「ばかな!今から四時間後には帰れるから、早く捜索願いを取り下げろ!」

いったい俺は本当に正気であの会社と戦おうとしているのだろうか?
警察の警護をどうすり抜けるのか?
これが家族を守るためになるのだろうか?
しかし、すべては明日の会社の幹部との話し合いで結果はついてくる。
それまでは迷ってはいけない。




深夜十二時にようやく自宅に着いた。
出迎えたのは何と真田さんだった。
二人で話がしたいということで、近くのスーパーの駐車場まで真田さんの車で行く。

「奥さんの話しと、藤沢さんの話では大きくずれがあります。」

「藤沢さんがこれからどうなさるつもりか聞かせてください。」

「今、職を失うわけには行きません。脅迫してでも家族のためなら何だってやります。」

「現実的に犯罪になるんじゃありませんか。そんな事したって家族の皆さんは安心して暮らせませんよ。」

「明日まで待ってください。すべては明日にかかっています。」

家に戻ると、オペルのキーが無い、玲子に問い詰める。
無理やり奪い取り叱責する。
どうにかして逃げ出さない様に神経を使っているのが解る。
愛犬のピーチとサクラも何故か怯えて寄り付かない。
二階に上がり子供たちにお土産の案山子を渡すが、怯えきった表情だ。
パソコンの電源を立ち上げフラッシュメモリーをコピーしておく。

明日の会社側とのコンタクトを如何に取るか思案した。
何故だかエロサイトまで閲覧してしまい、子供たちの顰蹙を買う。
何でもしたくてしょうがない状態だ。

空腹で胃が痛んできた。
今日は昼から何も食べていない事に気がついた。
玲子がコンビニに何か買ってくると言って出かけて行った。

どういう訳か、ご近所の警部補のご主人が尋ねてきた。
玲子が頼み込んだのだろうが、基本的人権が守られる証人となるはずだ。
夜間診療をしている丘の上の病院にどうにか受診して、皆が安心出来るよう説得される。

一回で良いから精神科を受診するよう促される。
家族はそれではじめて安心できるということを切々と問われ、何度も皆で説得された。

「しかたないですね。しかし強制入院は絶対にしませんからね。どんな手段をとってもいやですからね。」

渋々真田さんの車の一番奥の席に乗せられ、診療センターに向かった。

車内では龍之介の大学進学について話した。しかし家族は真剣だった。
龍之介は木刀を、麻衣子は着物の帯をしのばせ力ずくでも病院に連れてゆくつもりであったらしい。

今思えば初めからし仕組まれた罠だったのだ。
こんなに強制力が保護法に在るとはこの時点では思えなかった。


その丘の上の病院は暗闇に紛れてしまいそうにひっそりと佇んでいた。
裏口から警備員のチェックを受けて、清潔な廊下を進んでゆく。
薬とトイレの尿の混じった臭いがする。
真夜中の診察でもあり、しんと静まりかえり、床のノリニュウムがキュッキュと鳴るだけだった。



その裁判官は受診室に待っておられた。
俺は正面の椅子に座らされ、家族全員に順番に各々の状況の説明を求められた。

「ここ二週間は恐怖と不安でいっぱいでありました。主人の入院を希望いたします。」
と玲子は悲しそうに言った。

麻衣子も同じ考えであることを告げる。
予想したとおりだ。

龍之介は、父親は一本筋が通っているが頑固な一面があるとだけ告げた。
この状況でよく観察していてくれて嬉しい。

そして実に簡単に判決は下されたのであった。




「保護入院を言いわたします。」




午前1時半、その裁判官さながら、副院長は静かに机の向こう側から判決を下した。

「お断りします。基本的人権があるはずです。」

「保護法は基本的人権より優先されます。」

「力ずくでも強制入院は阻止します!」

強い口調ではっきりと言うと同時に、暗黙の了解を得ていた体格のよい看護師達が廊下から一斉になだれ込んで来た。

途端に五、六人の看護師が机を掴んだ俺の手を引き離しにかかる。
机を強く握っていた右手の小指がにぶい音を立てて骨折したようだ。
力任せに羽交い絞めにされ、両足を掴まれ天井に届かんばかりに高く持ち上げられて運ばれて行く。
天井の廊下の蛍光灯が何本も通りすぎて行く。
何度もフラッシュが焚かれているようなコマ送りの光景が流れてゆく。
なすすべも無く、俺は大声を上げて叫び続けた。

「こんなことが許されるとでも思っているのか!」

「残された家族は誰が面倒見るんだ!はなせコンチクショウ!」

病棟の処置室でベッドに押さえつけられ、衣服を剥ぎ取られ、腕時計やブレスレット、フラッシュメモリーも押収される。
何本もの注射をうたれる。
鎮静剤、睡眠剤、そして向精神病薬。
攻撃性で静脈が極端に収縮しているために血管確保が思うように行かず、何度も針を刺されてますます激怒する。

「このへたくそめが!いいかげんにしろ!」

家族の怯えきった顔が見える。
妻の玲子が泣き崩れている。
それを支える長女の麻衣子の顔は父親の俺に似て端正な顔立ちだったために、天井からの病室のほの暗い明かりで目の下に黒い水溜まりができ、その表情が見分けられない。
龍之介が青白い顔で立ち竦んでいる。

俺は不安な気持ちを抱いた。
薄れる意識の中でこれまでの様々な出来事を走馬灯の様に考えていた。

ムンクの叫びの絵画のように、その時視界がぐにゃりと曲がって脳細胞が悲鳴を上げた。

 
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